INTERVIEW No.2  川元師範代 2006.08.05 場所:長野県松本市

2006年度の夏の合宿中のつかの間の休憩時間を頂戴しまして、川元哲也師範代にお話を伺いました。

本日は、お忙しい中、インタビューをお引き受け下さり、ありがとうございます。 早速ですが、まずは川元先生の空手歴はどのくらいになりますか?
19歳で大学に入学してからスタートしましたので32年目になります。

人生半分以上、空手なんですね!佐伯先生には負けますが、長いですね。では、空手をはじめたきっかけは何ですか?

高校生の時、大学の学園祭に遊びに行って、そこで私の性格分析をしてもらったのです。その分析結果がすごく消極的なもので、「あなたは平々凡々な人生を送ります」と言われてしまいました。すごくショックでした。「私の人生はそんなもんじゃない!」との思いで性格改造のため、大学入学後に空手をはじめました。と同時に、高校時代までは吹奏楽部に入っていたので、大学では何かスポーツをしたいという気持ちもありました。

もともと、「空手はこわい」、というイメージはありましたが、入学間もない4月に行われた部活オリエンテーションで空手部の紹介を聞いて、自分でもなんとかなるのでは、という気持ちになりました。でも、オリエンテーション後にすぐ入部したのではなく、6月頃まで入部すべきかどうかずっと悩み続けました。実はその当時、大学から少しはなれた場所に住んでいたのですが、自転車を持っていなかったのです。それも悩みの種でもあったので、しつこく誘ってくる空手部の先輩に、自転車を調達してくれたら空手をする、という交換条件を出してみたところ、見事に自転車が手に入ってしまいました。その代わり、空手部にも入ることになってしまい…。

なんとなく取引が成立してしまったのですね(笑)。そんな風にして入部された大学の空手部の雰囲気は、どのようなものでしたか?

私を含め5人が新入部員として入部したのですが、夏には私一人になってしまいました。私は優柔不断だったんです。先輩には「川元がやめたら部が存続できなくなる」と脅され、結局やめられなくなっていました。優柔不断な性格でなかったら、間違いなくやめていたんでしょうね。すごくきつい稽古の毎日でしたから。でも拳を握り締める感覚や、稽古でどんどん体が動くようになっていくにつれて、自分自身が変わっていくのを感じていました。変わっていく自分がすごく好きでした。

翌年、後輩が10人ぐらい入りました。私の学年は私ひとりでしたので、下からの押し上げがとにかく強くて、それを抑えるのに必死でした。切磋琢磨で強くなっていったのだと思います。

先生、「やめるタイミングを逃した」と仰っていましたが、意外と空手が好きなんじゃないですか!?

うーん、実はそうかもしれませんね。昔はすごくストイックで、後輩には絶対に負けられないという気持ちが常にありました。元気な後輩たちの中には、時間が経つにつれて、明らかに「打倒川元」を掲げる者も何人かいたので、全員が一度にかかってきたとしても、刺し違えても倒す、という状態を保とうと頑張っていました。

やはり川元先生は空手がお好きなのですね。目がきらきらしていますもの。そんな先生ですが、空手のない人生は想像がつきますか? 空手は、今も昔も、先生の生活の多くの部分を占めていると思いますが、それがない人生はありえますか?

考えられませんね。あれほど厳しい稽古でも、やっぱり戻ってきてしまう。何かしらの理由で空手から離れてしまっても、数ヶ月もすれば、体が腐っていく感覚に襲われるのですよね。あれほど厳しくて、いやになって、「もう行くものか!」と思っていたにもかかわらず、結局戻ってきてしまう。実際に空手部に入っていなかったらどうなっていたのかということは想像がつきません。生涯道着を着続けると決めたのは40歳をすぎてからです。そしてここ数年は、もう降りられない舞台に立っているという気持ちです。

ちょうど去年の暮れ頃から、空手が体の一部のように感じています。

仕事でもそうですが、組織の中でどう動くかということを考えることが好きなんです。私は一人で自由自在に動くことの方がわりと好きですので、どうしても縦社会の組織の「硬さ」、つまり会社だと、上の人の好き嫌いによって、部下たちの行動が縛られてしまうことがどうしても納得が行かない時期がありました。そのようなことで思い悩んでいた時、道場のクリスマス会で、30年ほど前に杉浦先生(現主席師範)が書かれた小冊子を先輩から見せて頂きました。そこには杉浦先生の空手観がくまなく書かれており、特に、無数の筋組織が存在する中で、それらを一つの技をかける時にどう使うのか、ということが科学的に書いてあったのです。それを読んでいて、自分が今までやってきた空手が間違っていなかったことや、教える際に心がけている点などが間違っていなかったということが実感できました。そのことは、例えば組織の中にあって、物事が自分の思い通りに運ばない際に、一つの目的に向かって全体を動かそうとする意識ととても似ていると感じました。

なんだか、ものすごく奥深いですね。

ええ、そうなんです。そのことをこの歳にしてようやく「悟った」ので、これから10年かけてじっくりと実践に移していければと考えています。佐伯先生はずっと昔からこのようなことを実行されておられるのに、私はずいぶんと遅咲きなのでしょうかね。

いえいえ、とんでもない。孔子も「五十にして天命を知る」といいますからね。

今のお話を伺っていると、ある時期を境に「選手」から「指導者」へと意識が変わられたようにも感じましたが、先生ご自身、今も「現役」意識はお持ちなのでしょうか。なんてったって東京都三多摩大会(個人組手優勝、個人形入賞)や関東シニア大会(団体形優勝、個人組手・形入賞)などで数多くの戦績をお持ちですからね!! いかがですか?

そうですね。意識は常に「現役」です。でも、ずっとテンションを持ち続けることは、正直とても大変です。漠然と、今後もシニア大会で入賞したい気持ちは未だにありますから。

すばらしいですね。でも私の中では、どうしても川元先生は指導者のイメージが強いのですよね。実際に私が道場の門をたたいて、一番初めに空手を教わったのが川元先生でしたからね。基本をすごく大切にされる先生というイメージがあります。最近は小さな子供の指導を専門家と化されてますが(笑)。

大人でも子供でも私のスタンスは同じです。
感覚的にいうと、私はエンジンを積み込む役だと思います。花開かせるのは、高いセンスを持つほかの先生方であって、私はその前段階を作り上げる役目。本当の空手の基礎は、決められた立ち方と動きにあるのだから、本当にセンスのある人たちは、そこさえしっかりと身につけば、パーっと花開くと思っています。その基礎の部分のお手伝いに私は力を入れています。

私はまだまだ自分が未熟だと思っています。ですので、たまに、私が注意しても良いのだろうか、と思ったりしますが、その人の全体の動きの中の違和感というか小さな傷みたいなものにはどうも敏感に反応してしまう体質でもあるので、そこを修正することこそが、与えられた役割だと思います。でも、癖をなおすのって難しいんですよ。癖を直すためには、一旦弱くなってしまうので、大抵の人はそれが受け入れられなくて、結局、癖がそのまま残ってしまうんですよ。本当は、一つ言えば二つ三つすぐに直るような、本質に迫る指導方法があればいいのですが、私にはそれがまだわかりません。
指導者も本当に大変なんですね。川元先生は、「教えられる側」と「教える側」、両方を経験されて、どちらのほうが苦労が多いとお考えですか。

それは、教わる時のほうがずっと楽です。でも、両方の立場で、それぞれの苦労はあります。指導者という立場により多くの時間を割くようになってからは、どうしても、自分自身の鍛錬のために時間が設けづらくなりました。少ない時間の中で、いかに自分を鍛えるか、そのためには、一人稽古をすればよかったのですが…。実は一人稽古が好きではないんです。それをきちんとされている佐伯先生などは何年経っても衰えずに強いのです。わかってはいたのですが、どうしても私は昔から一人稽古が好きではなかったので、結局、一人稽古をするようになったのは30代半ば、参段をとる頃でした。

一人稽古は、どのような内容のものなのですか?形とか基本とかですか?

私の場合は空手用の筋力を鍛えるための稽古をしていますが、たいしたことはしていないです…。

あ、わかりました!一人稽古は極秘特訓をされているので秘密なのですね! 先生は以前、イメージトレーニングもとても重要な稽古だと仰っていましたが、先生ご自身、よくなされるのですか?

変な話、ジーっと座っていなければならない状況の時、よく頭の中で形を初めから最後まで通しで行います。そうすると、身体自体は動いていないのですが、動かすべき筋肉に神経が行くので、とてもいいですね。 

「目稽古、気稽古、地稽古」ということを佐伯先生はよく仰ってましたが、イメトレは気稽古の一種ですかね。気を強くする稽古は、よく学生時代はしましたよ。先輩に言われて夜の新宿の街を学ランを着て闊歩しました。わざと突っ張った格好をして、街中で見かけるイカツイ人たちの視線に耐える「稽古」を行いました。私は気が弱かったから、本当にこわかったですよ…。地稽古になりかけたこともありましたし…。 私の先輩達の武勇伝は数知れずのようです。

でも、そのおかげで、茶帯を取る前ぐらいに先輩から「ようやく川元の顔から甘さが消えた」といわれました。そのときは嬉しかったですね。でもこわかった。

気稽古が地稽古に…。空手のイメージのステレオタイプそのものですね(笑)でも、やはり何事も地道な苦労の積み重ねなのですね。

ところで、川元先生の府中支部の清水道場との出会いは、どのようなものだったのですか?大学空手部と清水道場とのつながりから、通うようになったのでしょうか。
そうですね。清水道場の稽古生でいらっしゃった佐伯先生が、大学の空手部に教えに来られていたのが直接のきっかけですね。昇級、昇段に向けて清水道場でも一緒に稽古しましたよ。故清水先生が弐段だった頃に、私は初めて昇級審査を受けたのですが、そのとき特例で他の受験生ではなく故清水先生に五本組手の相手をしていただいたことが特に印象に残っています。佐伯先生も、大学では指導者なのに、道場では当時の師範に「佐伯――っ!!! 」と怒られているのは、本当にこわかったですよ。普段自分の上にいる先生が怒られているんですものね。こちらの方が、背筋がピーンと張り詰める感じが絶えなかったです。

「佐伯―――っ!」ですかぁ。それはそれは、本当に恐ろしそうな世界です…。本当にいろいろな思いが詰まっている清水道場なのですね。

清水道場を始めとした厳しい稽古や、その他さまざまな経験にもかかわらず(というよりも、それらのおかげなのでしょうか)、空手への深い愛情を築き上げられてきた川元先生ですが、では、空手における夢とはなんですか?

最近は佐伯先生の夢=(イコール)自分の夢になってきています。最近の清水道場は会員の数が増えてきています。選手として育つ人たちもいれば、空手を人生修行の一環として捉えている人たちなど、実に様々な目的を持った人が集まった道場です。本当に小社会みたいな空間です。それをどう実現させていけるか。夢の組織を作りたい、と思っています。どこの道場にもない、奥深い道場を作り上げ、うまく機能させていくための方法を見つけたいと考えています。そのような特殊な道場の中で、会員がそれぞれの目標に向かって最大限に力を発揮できる空間を作り上げるお手伝いが出来ればと思っております。

あ、それといい忘れましたが、空手をやめなかったもう一つの理由を今思い出しました。

実は、新入生歓迎コンパの席で、「参段をとります!」と宣言してしまったのです。当時の参段は、そうそう簡単に取れるものではなく、夢のまた夢の世界でした。それでも、空手に関してはまったくのド素人であった私は、何も考えずに言ってのけたのです。そうすると、先輩たちが「笑うは馬鹿にするは」の大騒ぎ。あまりにも悔しいので、「絶対にやめるもんか」、と頑張ってきましたよ。

プライドと根性ですね。馬鹿にされっぱなしはいやですよね。有言実行で、ちゃんと参段もクリアされて、さすがです。

それにしても、やっぱり川元先生は、清水道場の「縁の下の力持ち」であり「道場一の理論家」(ただし佐伯先生に負けるかしら?)ですね。では、最後に会員の皆様に一言、お願いできますか?
「勝つ考えは持つな 負けぬ考えは必要」
本当に一言…!しかし、とても重みのある、奥深い言葉ですね。なぜこの言葉を選ばれたのですか。最後(の最後!)に教えて下さい。
空手道二十訓の中にある言葉です。ある時、夏の合宿で杉浦先生(現主席師範)のお話を聞く機会があり、この言葉に出会いました。それまで空手の修行に励みながらも、なんとなく勝負の世界に違和感を覚えていた私は、この時初めて、「ああ自分もこの世界(日本空手協会の世界)に居てもいいんだ」と感じました。道場に通う皆さんは、始めたきっかけも修行の目的もそれぞれにあると思いますが、良き指導者、先輩、そして後輩たちと切磋琢磨していく中で、それぞれの目標に向って、何事にも負けない心、折れない心を培っていって欲しいと思います。勝ちにいく必要はないですが、ただ、「負けないための心構え」と「負けない気構え」だけは常に忘れずにいて欲しいです。「負けないための心構え」とは日頃の鍛錬、「負けない気構え」とはいざという時の諦めない気持ちといってもいいでしょう。試合はそれを試す重要な場所です。「負けてはならない」というプレッシャーの中で全力を尽くしてこそ得られるものも大きいと信じます。
川元先生、本日は貴重なお話を聞かせて頂き、どうもありがとうございました。
インタビュー担当:向 和歌奈
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