佐伯師範の徒然日記
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 今はビデオやDVDなどの便利なメディアがあります。毎年開催される全国大会レベルのもの、あるいは一流のスポーツを見て触れて感性を磨くようにしましょう。無理なく、無駄なく、ムラなく目標をもって継続することが大切です。
 今回は、ある80歳過ぎの有名な空手の翁先生のお話しの中で、いくつか印象的に残ったことを皆さんへ紹介します。是非参考にしてください。

●「人に勝ちたい、人より上手くなりたいと思っているうちは、他人のための修業であって自分のための修行ではない。自分より上手な他人を超えればいいのではなく、昨日の自分よりも上手くなり、今日の自分よりも上手くなっていく、そうやって一生かけて自分を仕上げていくのが真の修業者であり、それが自分のための修業の姿である。」

●「スポーツ競技はルールに則って、相手よりもよい成績をとることが目的である。空手は礼が大事で、日常生活での礼儀作法が身についていくように先輩や師範が指導していくものである。親を大事に考える心、先祖を敬う心、人と接するさいの姿勢、挨拶、座り方などは特に大切なことである。
 こうした礼を欠いては空手の意味がない。決められたルールを守らせるということではなく、伝統的な礼儀作法の形をとおして人間関係のよきあり方を追い求めていくことにある。そもそも武道にはルールはなく、あるのは伝統的に磨かれてきた形であり、その形をとおして自分を磨いていくことにある。」

●「禅は座ったままやるものであるが、空手は動く禅である。空手は動きながら息を整え、心を整えて無の境地になり、動いた方がやりやすい。命ある身体を支える本当の自分との出会いをもって無の境地を悟るのが禅である。」

●「空手は自分との戦いにある。相手と手を合わせてみて、相手を負かしても、単に相手を落ち込ませて自分だけ満足しているようであれば何の意味もない。自分のやり方が間違っているのか、それをはかることが大切になってくる。そのためには間をとることが重要で、近すぎても離れすぎてもいけない。こちらが攻めていくことと、相手が攻めてくることを同時につかまえなければならない。
 自分のことだけを考えるのではなく、相手の立場を考えながらやることが重要であり、そういう自分を鍛えることに意味があり、相手に勝つか負けるかではない。武道の道を極めていけばいくほど、攻められるかどうかの瞬間にたちまち反応が生じる。それがどこかで止まってしまうのは修業が足りないからである。日常をよりよく生きるための動きや発想が止まったときは生活者の終りのときなのだ。
  そういう意味で空手には卒業はなく、一生が修業と思うべき。」とありました。

 じつにもったいないほどの含蓄のあるお話しだと思います。

 

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